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2014年12月31日水曜日

「1年を振り返って」

2014年もあと少しとなりました。

今年は、非常に感慨深い年になりました。

まずは刑事弁護。
気づけば、経験した刑事事件はかなりの数になっていました。
数をこなせばいいというものではもちろんありませんが、周りにいる素晴らしい先輩たちのおかげで、重大事件も含めたくさんの種類の事件を担当し、指導を受け、正しい方向に導かれていると思います。自分の弁護活動にも自信が持てるようになりました。
昨年までは事件を先輩と共同で受任することが多かったですが、今年は多くの事件を一人で担当しました。私のモットーでもある、一人一人の依頼人の話をよく聞くことに徹し、丁寧な弁護活動を心掛けました。幸い、多くの依頼人のために良い結果を得ることもできました。
裁判員裁判でも主任弁護人を務めるようになりました。たくさんの証人尋問や弁論を担当しました。裁判官から非常にわかりやすかったとのコメントをいただいたりもしました。法廷での弁護活動も自信をもてるようになりました。

刑事弁護以外の弁護士活動。
今年は多くの場所で、論文の執筆や、講演の機会をいただきました。自分の考えていることを外部に発表することはとても好きなので、今後も積極的に行いたいたいと思います。
このブログを始めたのも今年でした。おかげさまで、ブログの更新を楽しみにしていると言っていただいたり、ブログを見たというご相談者の方もいらっしゃったりして、うれしい限りです。
事務所のホームページも、10月にリニューアルしました。ホームページのコンテンツ作成にも大きく関わりました。少しでもわかりやすく情報が提供できているでしょうか。このブログをご覧になっていただいている皆様も、ぜひ一度ご覧ください。
そして、事務所の刑事事件とは別に、個人の弁護士として、新しい分野に挑戦しようとしていることがあります。時期が来たら、またこのブログでも、可能な限りで書きたいと思っています。

そのほか、私生活でも非常に感慨深い一年になりました。
趣味などでも、いい成果を出せたりもしました。

2014年は、このように非常に充実した1年でした。
今、すごくパワーがみなぎっています。
来年も、どんどん高いレベルの弁護活動を目指して邁進します。
そして、新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

2014年12月20日土曜日

「ネクタイ」

僕にはお気に入りのネクタイがあります。

このネクタイ、僕が何か新しいことにチャレンジするとき、いつも願掛けのようにつけています。
このブログに使っている写真を撮るときにもつけていました。
つまり、このブログの右側の画像の僕がしているのが、お気に入りのネクタイです。
このネクタイ、ドット柄に見えますが、よく見ると、桃と、栗と、柿のマークになっています。
そして、ネクタイの下部には、「桃」「栗」「柿」「3」「8」というデザインが入っています。

そう、このネクタイ、「桃栗三年柿八年」ということわざを表現したネクタイなのです。

このネクタイは、弁護士の1年目に、今の妻がプレゼントしてくれたものです。
弁護士1年目の時、いろいろなことに悩みました。
1年目の自分で、依頼人のためにベストな弁護を提供できているだろうか、自問自答しました。
プレッシャーに押しつぶされそうになりました。
仕事が辛いと思うときもありました。
そういう自分を知ってか、「何事も成し遂げるまでには時間がかかる。肩の力を抜きなさい」という意味を込めて、プレゼントしてくれたものでした。

先週、弁護士をはじめて3年が経過しました。
刑事事件に関していえば、普通の人の10年分くらいやったかもしれません。
担当している事件で弁護活動が実り、良い結果が出るたびに、「これでいいんだ」と自信を持てるようになりました。
1年目に感じていたプレッシャーは、自信に上書きされていきました。
立派な桃や栗に育ったでしょうか。
今は、様々な事件の依頼を受けても、依頼人のために自信を持って弁護に携わっています。

プレッシャーがなくなるといっても、それは緊張感をなくしていいという意味ではありません。
ここで気を抜けば、たちまち2流の弁護士になってしまいます。
弁護士にとって、脂がのってくる時期に入っていくと思います。
若手としての機動力や熱意は忘れずに。経験によって培った自信を持って。
今度は立派な柿を目指したいと思います。

2014年12月10日水曜日

「錦織選手の魅力」

今日は趣味の話をします。

僕はテニスをやるのも好きですが、見るのも非常に好きです。
今、日本は、テニスが非常に盛り上がっていますね。
もちろん、錦織圭選手の大活躍の効果です。

錦織選手が活躍し始めてから、テニスを知らない人に
「錦織圭のどんなところがすごいのか」
と聞かれることが多くなりました。
もちろん彼の技術は素晴らしいものがあります。僕が初めて彼のプレーを見たのは、彼がまだ17歳くらいの時のことですが、一目見た時からこの選手はすごいと感じるものでした。
パワー、スピード、フットワーク、戦術、どれをとっても一流でしょう。サーブは少しイマイチですが、全体として世界トップクラスの技術をもっていることは、すでに錦織選手自身が結果で証明していると思います。
・・・と、素人なりにウンチクを語りますが、私はプロではないのでこのくらいにしておきます。

私は、素人の一テニスファンから見た、錦織選手の人柄としての魅力に触れたいと思います。
錦織選手の魅力は「自然体」です。
プロのスポーツ選手はいろいろなタイプがいます。
本田圭佑選手のようにいわゆる「ビッグマウス」のタイプもいれば、僕の好きなテニス選手であるナダル選手のように非常に謙虚なタイプもいます。
もちろん、自信も謙虚さも重要ですから、どちらのタイプにも魅力があります。しかし、僕が思うに、錦織選手はこのどちらのタイプでもないんです。
数年前は、「フェデラー(当時世界ナンバー1)と練習できたことは一生の宝物」と言ったり、下位のグレードの大会で勝ったり全米オープンでベスト8に行ったときに本当にうれしそうだったんですね。
でも、今年はそうではありません。全米オープンの時には「勝てない相手はもういない」とまでいうようになりました。
謙虚な人がビッグマウスになったのか?
違います。彼が「勝てない相手はもういない」と言った時には、その言葉がすごく納得いったんです。「うん、その通りだよね」と。今のは一例ですが、彼の言葉は、いつも飾るところがなく、そのままの意味ですんなり入ってくるんです。
そして、プレーの話に戻ると、プレーも自然体。このことが、試合中も余裕を生み、すばらしいパフォーマンスに結びついているのではないでしょうか。

今後も、錦織選手がすばらしい結果を出すことを期待したいですね。
そして、日本全体のテニスが盛り上がり、さらに錦織選手に続く選手がどんどん現れることを望みます。

余談ですが、先日有明でのエキシビジョンの時に、インタビュアーから
「勝てない相手はもう、いますか?」
と聞かれて、はにかみながら、
「えー、いま・・・せん(笑)」
と答えていた錦織選手はすごくかわいかった!笑

2014年11月30日日曜日

「スピーチ」

ここのところ、いろいろなところで前に出て話す機会をいただいていました。
弁護士としてイベントでお話したり、プレゼンする機会はもちろん、友人の結婚式でスピーチをさせていただいたりもしました。
こういった機会を与えていただくごとに、各方面との仕事のつながりや、素晴らしい友人関係に感謝するものです。

さて、法廷でも、人の前に出て話す機会がたくさんあります。
特に、英語では「final speech」とも言われる最終弁論は、まさにスピーチです。
最終弁論は、弁護人の主張を裁判官や裁判員に伝える重要な機会です。
一人でも多くの裁判官や裁判員に主張に共感してもらえるよう、あの手この手を尽くします。
そのために必要な技術がたくさん提唱されています。

私は、法廷以外でのスピーチやプレゼンの場面でも、実はこの弁論技術を意識して応用します。
法廷とはスピーチの目的は違います。それは、取調べの可視化を理解してもらうことだったり、裁判員裁判に興味をもってもらうことだったり、新郎新婦を感動させることだったりします。
しかし、人に共感してもらうための興味の引き方、構成、話し方などは、目的は違っても同じところも多いはずです。
そのテーマで一番相手の共感を得ることができるのはどういうスピーチか、自由な発想で考え、実践するのです。

そして、このような実践は、逆に、法廷技術の向上にも非常に役に立ちます。
裁判での弁論というのは、普段から私たち弁護士がなじみのある分野ですから、法律家として考えが凝り固まってしまいがちです。
しかし、法律という枠を外れて自由に構成を考える機会を持つことで、本来あるべき自由な発想に立ち返ることができます。
結果、裁判での弁論でも、斬新な発想や意外な視点を提供することができたりするのです。

ですから、今後も、そのような機会をいただける限り、積極的に手をあげたいと思っています。

2014年11月19日水曜日

「身体拘束」

逮捕や、勾留は、人の身体の自由を制圧する行為です。人の身体を拘束する行為です。
逮捕は犯罪です。ただし、警察官などが容疑者を捕まえるときには、特別に許されています。

一般には、悪いことをしたんだから、逮捕されて当然だと思われています。
しかし、それは違います。
証拠によって犯罪が証明され、裁判で有罪判決を受けるまでは、人は「無罪の推定」を受けます。
現実に、逮捕・勾留された人も、多くの人が不起訴(裁判を受けない)処分となっています。
逮捕された時には派手に報道される事件も、不起訴となっている事件は少なくありません。
逮捕・勾留される人が悪い人であるとは限らないのです。

では、なぜ逮捕・勾留が正当化されるんでしょうか。

逮捕・勾留は、一般的に犯罪の嫌疑があり、「罪証隠滅」や「逃亡」をする相当な疑いがあるときになされることになっています。わかりやすくいいかえると
 「今は疑わしいだけで有罪とは限らないけども、釈放しておくと証拠を隠されたり逃げたりする可能性が高いから、拘束しておく」
ということです。
逆にいえば、そういう可能性が低ければ、家から取調べに通い、家から裁判に通うということで全く問題はありません。裁判で有罪とされれば、刑務所へ行って罪をつぐなえばいいわけです。
裁判で有罪判決を受けるまでは無罪の推定を受ける市民を拘束するのですから、拘束の条件は厳格でなければならないはずです。証拠隠滅や逃亡のおそれは、具体的なものでなければならないはずです。

しかし、現実はそうなっていません。
極めて抽象的な証拠隠滅のおそれや逃亡のおそれがあると認定されて、逮捕・勾留されています。そして、ずっと拘束されたまま裁判を受けるケースも多くあります。
「罪証隠滅や逃亡のおそれは読めない。けれども、一度されてしまったら取り返しがつかないので拘束するのだ」と、ある検察官(裁判官だったかもしれません)は言っていました。

私は、2年前、日弁連に派遣されたチームの一人として、イギリスの刑事事件の現状視察に行きました。イギリスでは、取調べを受ける前に弁護人の援助を受ける権利が保障されています。それを学びに行くことが目的でした。
もちろんその点は勉強になったのですが、私がほかに大きな衝撃を受けたのは、身体拘束の在り方でした。どんどん逮捕された容疑者が釈放されていくのです。逮捕された容疑者のうち、拘束されたまま裁判を受けることになるのは、10パーセント程度だということでした。
そして、ある裁判官はこう言っていました。
「罪証隠滅や逃亡のおそれは読めない。将来のことだからね。わからないからこそ、釈放するのが原則なんだ。もし何かあったら、その時にペナルティを課せばいい」
実際に罪証隠滅や逃亡といった事態が起こるのは、多くはないそうです。

どちらが、「無罪の推定」にそぐう考え方でしょうか。
私は弁護人としてたくさんの事件にかかわりました。本当に、不必要な拘束をされているという事件を多く経験しました。そして、そのことを全く理解していない、検察官や裁判官の対応を目にしました。
身体拘束の現状は変わらなければなりません。
個人的には、数ある刑事司法の問題点の中で、この問題が最も大きな課題ではないかと思っています。無用な逮捕、勾留がなくなるだけで、冤罪は減ると思います。無駄な身体拘束がなくなって初めて、市民一人一人が、公平な裁判を受ける権利を享受できると思います。
 

2014年11月10日月曜日

「ルール その2」

世の中にはたくさんのルールがあります。
時に、ルールは、「~してよい」という形をとることもあります。
先日は、「~してはいけない」ルールについてお話ししましたが、逆のルールについて思うところをお話ししたいと思います。

本来的に、人は自由です。
近代国家において、人は、自由な個人であることが想定されています。
国家によって生かされているわけではありません。
ルールによって生かされているわけでもありません。
ですから、いちいち「~してよい」なんて言われなくても、そんなおせっかいをいわれなくても、人は基本的に自由なのです。
(ルールが世界を作っているスポーツやゲームは違いますが)

では、そういう世界の中で「~してよい」というルールの存在意義は何なのか。
私は、そのようなルールが意味を持つためには、「~してもとやかく言われない」「~しても不利益を受けない」という意味を持たなければならないと思っています。

刑事事件のルールを定めた刑事訴訟法には、「黙秘権」という権利が定められています。
黙秘権の意義や正当性、重要性についてここで述べることはしません。
この権利は、簡単にいえば、「取調べや、裁判で、黙っていてよい」というルールです。
しかし、これを文字通りに考えれば、これはあまりにも当然です。人の口に手を突っ込んでも言葉は出てきませんから、黙りたかったら、本人が黙ればいいのです。「黙っていてよい」などと言われなくても、黙ることは少なくとも物理的には可能です。

ですから、「黙っていてよい」というルールは、「黙っていてもとやかくいわれない」「黙っていることによって不利益を受けない」という意味を持たなければなりません。

しかし、現実の事件では、それとは異なった扱いを受けることがあります。
捜査機関は、取調べのはじめに「取り調べでは、黙っていてもいい」と告知しなければならないと決められています。実際、告知は行われます。しかし、多くの捜査官は、そう言った舌の根も乾かぬうちに、「黙秘していると不利になるぞ」「黙っていると反省が見えないから重い刑になる」などとまくし立てます。黙っていることに、とやかく言い続けます。不利益になりかねないと示唆します。
私はしばしば黙秘権の行使を防御戦術として選択します。そのような場合、捜査機関が黙秘に対して上のような圧力をかけてこなかったことは、たったの一度もありません。

しかし、本当に黙秘権の行使が不利益を招いたと感じたことも、たったの一度もありません。
捜査機関の圧力は、けっきょく、多くの場合、脅しあるいは虚言です。
黙秘権を行使している被疑者を怒鳴りつけている間に、ほかの客観的な証拠を集めたり、証明の方法を考えることに時間を使ったほうがいいと思います。
そうしなければ、真犯人をどんどん逃がしてしまうかもしれない。
そうしなければ、本当は犯人でない被疑者が屈服し、冤罪が生まれてしまうかもしれない。

ルールですから、そのルールがあることによって不都合な当事者も、そのルールを尊重しなければならないはずです。
「~してよい」というルールが、「~してもとやかく言われない」「~しても不利益を受けない」という意味を持ち続けられるように、明日も接見に行きます。

2014年10月30日木曜日

「裁判員裁判のインパクト」

裁判員裁判に関する論考を期待した方、ごめんなさい。

再び、イベントの宣伝です。

平成26年11月3日(月・祝) 13:00~16:00
専修大学 神田校舎 7号館3階 731教室
シンポジウム「裁判員裁判のインパクト -実施5年後の現状と今後のあり方-」
が開催されます。
http://www.senshu-u.ac.jp/fsis/gakubunews/_12327.html


このイベントは、専修大学の法社会学の授業の一コマとして行われるものです。
当日専修大学は学園祭のようで、それに合わせて一般の方も参加できるよう、授業を開放して拡大授業を行うということです。
私は「裁判員裁判を担当して -司法へのインパクト」という題目で簡単な講演を行い、その後、実際に裁判員を経験された市民の方とディスカッションを行います。
一般公開の講義ですので、ご興味のある方はぜひおこしください。

裁判員裁判が市民社会・司法にどのようなインパクトを与えたか、また与えるべきかは、当然私にも持論があります。
しかし、私が弁護士になった時には、すでに裁判員裁判はありました。
裁判員裁判開始前の裁判は、厳密には知りません。裁判員裁判の前は、今まで以上に、日本の刑事裁判は「絶望的」だと聞いていました。その絶望を味わったこともありません。
ですから、今回のテーマで講演をするには、私には役者不足なのではないかと、本音のところは思わないではありません。

しかし、先輩から「昔はこうだった」という話をたくさん聞いてきました。裁判員裁判以外の事件では、従来通りに近い裁判が今でも行われています。そういった事件も、もちろんたくさん経験してきました。旧態依然とした扱いを受け、憤ったこともありました。
そして、裁判員裁判の法廷をたくさん経験してきました。同世代の弁護士としては、もっとも多い部類だと思います。そのどれもが、ワクワクする法廷でした。戦いがいのある法廷でした。

そういった経験を踏まえながら、イベントの趣旨に沿った役割を果たしてこようと思います。
 

2014年10月24日金曜日

「ホームページリニューアル」

当事務所のホームページをリニューアルしました!


http://www.t-defender.jp/


これまでのホームページは,5年ほど前に作成されたものでした。
僕自身,前のホームページは前のホームページで味があって好きだったのですが,見やすさや内容など,一般の方々にご覧いただくには改善点が多くありました。
大幅なリニューアル作業をこの間進めており,昨日の夜くらいから,一般公開しております。


当事務所は,今後も,あらゆる刑事事件に精通した事務所として,すべての依頼人のために全力を尽くします。
また,変わらず,複雑困難事件や裁判員裁判事件も積極的に担っていきます。


当事務所を今後ともよろしくお願い申し上げます。

2014年10月20日月曜日

「法科大学院」

私は「法科大学院」の出身です。
大学卒業後、法律家になるための専門的知見を養う学校です。
現在の制度は、原則としてこの学校を卒業した後、司法試験をうけることになっています。
この法科大学院、しばらく前までは存在しませんでした。
2004年に第1期生が入学し、ようやく10年が経過したという段階です。

法科大学院制度の是非については議論があります。
弁護士を含む法曹人口の増加の問題と関連して、反対論も少なくありません。
法科大学院の志望者が少なくなっているという現状もあります。
私自身も、この問題に関する意見を持っています。
私は、法科大学院制度には賛成です。
法科大学院の教育は、より優れた、豊かな考えを持った法曹を生み出す土壌になると思っています。

もちろん、議論に答えは出ていません。
法科大学院制度がどうなっていくかは、今後も議論され、検討されるべき問題でしょう。

しかし、ひとつだけ、私にも確実に言えることがあります。
それは、法科大学院がなければ、今の私はいないということです。
私は、法科大学院の充実した教育によって生み出された弁護士です。
法学部の授業や予備校の授業も経験しました。
法科大学院の教育は、それらとは比較にならないほどすばらしいものでした。
私の法的知識・能力のほどんどは、法科大学院で養われたものでした。
実務家にも触れ、法律家になることの社会的な意味について考えさせられました。
自分が優秀な弁護士だとうぬぼれるつもりはありませんが、少なくとも、刑事弁護に対する信念は人一倍強いと自負しています。そのような「心」を育てたのも、法科大学院でした。

このような体験を語る機会をいただけることになりました。
平成26年10月25日午後1時から
明治大学・駿河台キャンパス・リバティタワー2階1022教室にて
「今,なぜロースクールで学ぶのか 法科大学院がわかる会」
というイベントに登壇します。
http://lskyokai.jp/event/20141014.html
このイベントは、司法試験をめざす学部生向けのイベントです。
司法試験を目指す学部生は、「予備試験」などの選択も与えられる中、進路について悩んでいる方が多いかと思います。そういう学部生に、法科大学院の魅力を伝えるイベントです。

私は、法科大学院時代の恩師というべき刑事訴訟法の先生と、その教育を受けた生徒2名(私含む)での対談を行います。
短い時間ですが、法科大学院教育の魅力について伝えられればと思っています。
また、後半の部において、出身である一橋大学法科大学院のブースにて、質問を受け付けます。

このブログをご覧の皆様に、司法試験志望の学生がいらっしゃいましたら、ぜひお越しください。
ご家族ご友人に司法試験志望者の方がいらっしゃる方、ぜひおすすめください。

2014年10月11日土曜日

「寄稿」

今月発売の法学セミナー11月号に寄稿しました。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B3%95%E5%AD%A6%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC-2014%E5%B9%B4-11%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B00NQBJXZS/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1412995900&sr=8-1&keywords=%E6%B3%95%E5%AD%A6%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC

法学部の学生や、法科大学院の学生を主な対象として、刑事弁護の魅力を語る企画です。
大御所たちに混じって、私は刑事弁護士を志した体験談のようなものを投稿させていただいています。
このブログのはじめに私がなぜ刑事弁護をやるのかということについて書きましたが、その原点となるエピソードをつづっています。

私の投稿よりもっと読みごたえがあるのが、その他そうそうたる執筆陣による寄稿です。
当事務所の前田弁護士、坂根弁護士も執筆しております。
刑事弁護の魅力が十分に伝わる特集になっています。

ご興味のある方は、ぜひ手にとってご覧ください。

2014年10月5日日曜日

「ルール」

世の中にはたくさんのルールがあります。
ルールは時に「~してはいけない」というかたちをとり、我々の自由を制約します。
このルールは明確でなければいけない、というお話です。
明確な「~してはいけない」というルールは、逆に我々の自由を守る役割を果たします。

たとえば、「20歳未満の人はお酒を飲んではいけない」というルールがあります。
このルールによって、未成年はお酒を飲むことが禁じられました。
僕はお酒にずっと興味があったので、20歳でのルール解禁を心待ちにしたものです。
しかし、20歳になってしまえば、このルールによって、逆にお酒を飲む自由が保障されます。20歳以上であれば、体が悪かろうが、酒癖が悪かろうが、お酒を飲むこと自体は誰にも妨害されないのです。
「精神的に未成熟な人はお酒を飲んでいけない」というルールだったらどうでしょう。
妻から「あんたは中身が子供なんだからお酒はダメ」と、いわれのない迫害を受けるかもしれません。
本来お酒を飲んでまったく問題ない大人が、「僕はお酒を飲んでいいほど精神的に大人だろうか」と委縮してしまうかもしれません。
政府が、ある特定の団体に入っている人は未成熟だという通達を出して、自由を制約しようとするかもしれません。「特定の地域に住んでいる人」かもしれないし「特定の宗教を信仰している人」かもしれません。「特定の性別の人」「特定の政党の人」・・・解釈についての通達の名のもとに、個人の自由が侵されていくかもしれません。

明確なルールは、人の自由を守ります。

実はこの話は、法律家であれば全員が学んだことのある原則を言い換えたものでした。
「罪刑法定主義」といって、刑罰を科すときには法律による明確な根拠がなければいけない、という原則です。
刑法は、さまざまな行為を処罰の対象としています。しかし、それは同時に、書かれていないことは絶対に処罰の対象にならないことを示します。したがって、それが明確に書かれている限り、刑法は人の自由を守っているといえるのです。

2014年9月25日木曜日

「更新頻度」

ブログを初めて3か月以上が経ちました。
いろいろな人から、ブログ楽しみに読んでますと言っていただきます。
もっと更新してよ、というありがたいご要望をいただいたりもします。

そういっていただくと、自分でもブログを更新するのが楽しくなります。
反面、一般の方も含めいろいろな方に読んでいただく前提となると、どうしても少し構えてしまうんですよね(笑)
それで更新頻度も少なくなり・・・

でも、ここ最近、HPを見てご相談にいらっしゃった方に、ブログ見ましたと言っていただける機会が増えてきました。
心なしか、以前よりも、当事務所のHPを見て気軽に相談のお電話をいただけることが多くなってきた気がします。
ご相談を検討している一般の方にも、このブログを通じて、何か伝えられるところがあれば幸いに思います。

というわけで、もうちょっと更新頻度を上げようと思います(笑)
目標は、10日に1回!
・・・ちょっと目標として少なすぎるでしょうか。
ひとまずこの目標のもとやっていきたいと思います。

本日はあまり中身の少ない投稿になってしまいました。
そういった気楽な投稿も含めて更新できればと。
あ、そういえば先日宣伝させていただいた可視化の集会にはたくさんの方々が来ていただきました。私も5分程度ですがプレゼンをさせていただきました。来ていただいた方から好評を賜りましてうれしい限りです。そして、メインの講話やパネルディスカッションは、非常に興味深く、私自身も勉強になりました。
可視化がやっと法制度化されようとしていますが、まだまだ課題がたくさんあります。引き続き、全面的な取調べの可視化に向けて、調査研究などにかかわっていきたいと思います。

2014年9月1日月曜日

「宣伝」

「取調べ可視化」という言葉をご存知でしょうか。

罪を疑われて逮捕された人は、通常、警察官や検察官などの捜査機関から、取調べを受けます。
狭い部屋に、何人もの刑事に囲まれて座らせられます。
取調べを拒否する権利はないと考えられています。
無実を訴えても、疑われた人を怒鳴りつけ、脅し、騙し、あるいは甘い言葉で利益誘導をし、ありとあらゆる手段で罪を認めさせようとすることは、ごくふつうにおこなわれています。
このような取調べが行われていることは、過去の事件から優に明らかになっています(極端な例ですがわかりやすいのがこれです。https://www.youtube.com/watch?v=ubwCEMjKdqY(音量注意))。
この取調べを、20日以上もの間、毎日することができます。
朝から晩まで、することができます。
弁護士が隣に立ち会うこともできません。
孤立無援の密室で、捜査機関と戦わねばなりません。

戦える人もいました。しかし、取調べの厳しさに耐えられず、うその自白をしてしまった人もいました。裁判で話せばわかる、と考えてのことでした。
裁判では、必死に無実を訴え、取調べのひどさを訴えました。
しかし、裁判で取調べ担当官は「そんな取調べはしていない」といいました。
どんな取調べが行われたかは誰にもわからなくなりました。
そして、何人もの無実の人が、うその自白をもとに、有罪になっていきました。

たくさんの無実の人が有罪になっていったことは、歴史が証明しています。近年、無実が明らかになり、裁判のやり直しにより釈放された方が続出しています。
私は、それすらも、氷山の一角だと思っています。
むかしの出来事ではありません。私は、事実を否認する事件をたくさん担当してきましたが、捜査機関から、脅しや利益誘導などといった問題のある言動がなかったことは、たったの1度もありません。そのたびに依頼人を励まし、捜査機関に抗議してきました。

どうすればひどい取調べがおさまるのでしょうか。
どうすれば無実の人がうその自白で有罪になることを防げるのでしょうか。

前置きが長くなりました。
「取調べ可視化」とは、密室の取調べを見えるようにすることです。
取調べの状況をカメラで録画して、弁護人も裁判官もチェックできるようにするのです。
ひどい取調べは収まり、うその自白で有罪になることを防ぐ重要な手段になるはずです。
本日は、この「取調べ可視化」に向けた市民集会の宣伝の投稿です。

2014年9月22日 18時30分から20時30分
霞が関所在の弁護士会館にて
取調べの可視化を求める市民向けの集会がおこなわれます。
(詳細については、http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2014/140922.html
だれでも参加可能です。
集会といっても、身構えるような内容のものではありません。
可視化とは何か?なぜ可視化が必要なのか?今、日本の取調べ可視化の現状は?今後の課題は?「可視化」を市民の皆さんにおつたえするための集会です。

今年3月、死刑囚として拘束されていた袴田巌さんの裁判のやり直しが決まり、釈放されました。
一日15時間ものひどい取調べを受け、嘘の自白をしてしまいました。
無実の罪で死刑判決を受け、48年間もの拘束を受けていました。
想像するだけでもつらい、耐え難い悲劇です。
集会では、袴田さんのお姉さんが、失われた48年間についてお話しされます。
きっと、衝撃を受けると思います。

無実の罪で有罪になった方の裁判のやり直しが決まった例はこれだけではありません。
また、捜査機関による不当な取調べも次々に明らかとなってきています。
このような流れを受けて、いよいよ「可視化」が法制度化しようとしています。
集会の後半では、法制化に携わった有識者によるパネルディスカッションを予定しています。
非常にき興味深いものになるでしょう。私も楽しみです。

私自身も、この集会の企画に携わり、当日も、すこしではありますが、登壇してお話をさせていただくことになりました。

ブログをご覧の皆様、是非、お気軽に足を運んでいただければと思います。

2014年8月6日水曜日

「Youtube」

「初頭効果」という言葉があります。
人は、一番最初に聞いた情報を最もよく記憶する、という心理学上の概念です。
この心理的現象を尊重した、法廷での弁護技術があります。
たとえば、弁護人として主張を伝えるとき、インパクトのある主張を意識的に最初に持ってくる。
証人を尋問するとき、もっとも裁判官(裁判員)に注目してほしい事項を最初に聞く。
こうすることで、主張の重要部分を記憶に残るようにし、かつ、出だしのインパクトによって主張全体に興味を持ってもらうことができます。基本的な法廷弁護技術のひとつといえます。

さて、表題ですが、ご存じのとおり、Youtubeは動画配信サイトです。私も、結構利用します。
ここで取り上げたいのは、動画の最初に流れるCMです。Youtubeでは、動画の最初にCMが流れることがあります。動画とは関係ない、一般的な商品などのCMです。

このCMの多くは、5秒経過後にスキップできることになっています。

つまり、これをCMの配信主体である企業から見れば、5秒の間に興味を持たせられなければ目的のCMを流すことはできないということです。
これは、上に書いた法廷技術、つまり一番最初の主張にインパクトを持たせる、ということと非常に共通しています。
しかも、最初の5秒で視聴者の興味を持たせなければ、(法廷での弁護人の陳述を裁判官は一応きかなければいけないのと異なり)自分の主張自体をすべて聞いてもらえなくなるので、よりシビアです。
さらに困難なことには、だれもCMを見に来ている人はいないということです。弁護人の弁論は一応そのための時間が与えられていて、裁判官も一定の興味を持っています。しかし、CMを目にする人は、CMでなく明らかに動画を見に来ています。好きなアーティストのPVだったり、名プレーヤーのテニスの試合がすぐに始まることを期待してクリックしているわけです。CMは、動画を見るための邪魔者にすぎません。
これは、CMを配信する側からすれば、かなり悲劇的な状況であるといっても過言ではありません。

僕も、ほぼすべてのCMを5秒でスキップします。
いろいろなCMがあります。最初の5秒がBGMのイントロだけで終わってしまうCMなどは論外。最初に商品名を声高にアピールするCM、商品の効能や実績をアピールしようとするCMなど、5秒間を意識したと思われるものもありますが、やはりほぼすべてをスキップします。

そのような中で、先日、最後までCMを見たことがありました。そのCMの出だしはこうでした。
(高校生が)「また間違えてる」(高校生の視線の先に挙動不審の外国人)
そして5秒をすぎるあたりで、外国人が高校生に何かを訪ねようとしてきます。
結局これは、「富士山(ふじさん)駅」に行きたい外国人が「富士山下(ふじやました)駅」(※群馬県所在)と間違えたというストーリーでした。


後から振り返ってみるとすごくうまいと思います。
まず「間違えている」というメッセージ。他人の間違いや失敗に興味を持つのは人の常です(笑)
しかも「また」ということで、よくある間違いだということを強調。どんな間違いなのだろうという興味を引き立てます。
そして、5秒過ぎてスキップができるようになるあたりで、外国人が話しかけてきて、間違いの内容が分かりそうになる。スキップせずに知りたくなります。
これで、僕は5秒過ぎてCMを見続けました。

CMの商品は、Googleの音声検索でした(高校生がスマホの音声検索で富士山駅までのルートを説明する話)。
出だしの話は、直接には商品と関係がありません。しかも、僕自身商品に特に興味があったわけでもありません。しかし、それでもGoogleは僕にCMを見せることに成功しました。

人を引き込むストーリーの出だしは決まった形はなく、いくらでも工夫の余地があります。
それをこんな場面で知らされることになるとは。
日常触れる何気ない場面にも、弁護技術のヒントが隠されています。

2014年7月24日木曜日

「リピーター」

今日,昔事件を担当した方から連絡が来ました。
新しい法律問題が生じたということで,ご相談のお電話でした。


昨年末くらいにも同じことがありました。
元刑事事件の依頼者が,新しい民事関係の法律相談にいらっしゃいました。
弁護士として年数を重ね,こういったお問い合わせが増えていくのは嬉しいことです。


刑事事件は,性質上,リピーターが少ないものです。
少ない方がいいです。
仮にあったとしても,複雑な心境でしょう。
担当した方が,また再犯をした(あるいは,疑われた)ということですから。
もちろんそういう場合でも,ご依頼があれば担当しますが。


今日のご相談も民事関係のご相談でした。
刑事事件を担当した方が,刑事事件でない分野までご相談してくださるのは,担当した刑事事件を通じて,刑事事件に限らない信頼感を持っていただいたと感じられるので,すごく嬉しいです。
刑事事件を主な取扱分野としていますが,もちろん民事ができないことはないので,丁寧に調べてお答えしました。


刑事事件は一回きりのものです。
一回きりがいいです。
でも,刑事事件を丁寧に担当すること通じて,刑事事件に限られない人のつながりが増えていくことも,弁護士の仕事の醍醐味だと感じました。

2014年7月14日月曜日

「雑誌」

「季刊刑事弁護」という雑誌があります。

「季刊」の名の通り、年に4回発売される刑事弁護雑誌です。
刑事弁護に関する事例の報告や、刑事弁護の技術・戦略に関する特集記事が主な内容です。
弁護士向けの雑誌ですが裁判所の会議室でも見かけたりするので、意外と、裁判所や検察官も読んでいるかもしれません。
法曹関係者の中ではそこそこ有名な雑誌です。

読んでいると、本当に勉強になります。
「本当の意味で」刑事事件に強い、百戦錬磨の弁護士たちが記事を書いています。
理論的な論文から、技術や実例にわたる部分まで、毎号楽しみに読んでいます。
最近では編集委員が一新され(当事務所のS弁護士も編集委員を担当しています)、より現在の刑事実務に合致した最先端のものとなったといっていいと思います。

今は秋号が発売されていますが、夏号には僕も出させていただきました!
昨年度、東京三弁護士会が主催して行った模擬裁判(一般市民の方をお招きして裁判員役をやってもらい、当事者も本番さながらに活動して、裁判官とともに評議をしていただくイベント)で裁判員役を務められた一般市民の方にインタビューを行った時の記事が載っています。
私も尊敬する若手の実力派刑事弁護士であられる久保有希子先生(第一東京弁護士会)も一緒でした。
模擬裁判もとても勉強になりましたが、インタビュー自体も一般の方のご意見を聞けて、すごく参考になりました。そのへんの勉強になるところが凝縮されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

秋号はまだ手元にありませんが、主題は「黙秘が武器になる」です。
黙秘権をどのように、どういう基準で行使するか。まよわず決断できるケースもありますが、事例によっては迷うケースもあります。それくらい神経を使う問題だと思います。
読むのが今からすごく楽しみです。

2014年6月29日日曜日

「趣味」

刑事弁護ばかりやっているわけではありません。
僕にもプライベートでの「趣味」があります。

どちらかというと多趣味なほうだと思いますが、一番堂々と人に話せる健康的な趣味は
「テニス」
です!

中学生のころからずっとテニスをやっています。
もうテニス歴は15年以上になるということになりましょうか。
中高6年間はもちろん、大学でも、いわゆる体育会の部活動で4年間を過ごしました。
今でも休みを見つけては大学に行き、現役の後輩たちと試合をしています。
まだまだ現役部員には負けません(という気持ちでいます)!

このように、大学まではスポーツに明け暮れていたタイプの人間ですが、そのスポーツの経験が、今の(弁護士としての)自分を形作っているように思います。
テニスも裁判も勝負です。相手の強みをいかに封じるか。自分の強みをどうやって活かすか。相手の弱みをいかにあぶりだすか。自分の弱みをいかに目立たせないか。テニスと裁判は、共通している部分があるようにおもわれます。少なくとも僕は、意識的にやっています。
そして、あきらめない心を養えたというのも重要でした。練習がきつい、試合で劣勢になる、何度も何度も経験しました。なんとか、目標を達成するため、勝つために努力をくりかえしてきたつもりです。結果が出るときも出ないときもありましたが、結果のためにあきらめず、最善を尽くすということを覚えました。刑事裁判も、依頼人の身体が拘束される、証拠を固められて裁判にされる、たいていは逆境から始まります。でも、それがまさにやりがいの源です。劣勢なところから、どうやって自分の依頼人の主張を正しく伝え、劣勢を逆転するかというところに、やりがいを感じます。あの試合の逆転勝利が・・・とおもいだすわけでもありませんが、全く同じ体の感覚を覚えることが多々あるのです。

少々こじつけでしょうか(笑)でも、僕の人生にとってテニスで得たものが大きいことは確かです。
一生の財産として、ずっと続けていこうと思っています。

なお、堂々と人に話せない趣味としては、麻雀、ゲーム、お酒などがあり、それぞれ「弁護活動と共通点がある!」などと話すこともできそうなのですが、ここでは割愛させていただきます。。。

2014年6月20日金曜日

依頼者からの手紙


先日、担当した事件の依頼人からお手紙をいただきました。

事件自体は、それなりの重大事件で、裁判員裁判の事件でした。
検察官の求刑は懲役10年。しかし、判決は、懲役6年6か月でした。
検察官の求刑が適切だったかは相当に疑問のある論告の内容でしたが、ともあれ、我々が求める結論に限りなく近い量刑となりました。

お手紙を通じて、依頼人はこれ以上ない感謝の言葉を述べてくれました。

もちろん、感謝されることを「目的」にやっているわけではありません。
求めているのは、依頼人の感謝ではなく、依頼人の利益です。
感謝されなくとも、依頼人の利益を最大限にするための活動を行う使命があります。
逆に、「頑張ってくれた」と感謝されても、結果が出なければ、その事件に対しては悔しい思いが極めて強く残ります。
最善の結果を求めて、どんな人にも最善の弁護を提供しなければならないと考えています。

しかし、それでも、人から感謝をされるというのはうれしいものです。

今回は、依頼者の利益にもかなう結果が出たから喜べるのかもしれません。
感謝をされることが目的ではありませんが、依頼人の利益を追求した結果として依頼人から感謝されるのは、本当に喜ばしいことです。
明日からもまた刑事弁護がんばろう!ってなります。

いつも結果を保証できる仕事ではありません。
でも、一つでも多く、少しでもよりよい結果を出せるように、日々腕を磨いていきたいと思います。

2014年6月5日木曜日

はじめに

東京ディフェンダー法律事務所所属、弁護士の山本衛と申します。

東京で刑事事件専門の弁護士をやっています。
縁あってこのようなブログを開設することとなりました。
たくさんの方々に読んでいただけることを願っています。

このブログでは、自分の日々の弁護活動を中心に日記的なものから、評論まで雑多につづりたいと思っています。
最初の記事で何を書くかは迷っていましたが、せっかくなので、僕がなぜ刑事弁護専門の弁護士を志したのか、なぜ今こうしてたずさわっているのか、書いてみたいと思います。


「弱い立場に置かれた人の助けになりたい」

そう思って、弁護士を目指しました。そう思って、刑事弁護を志しました。
刑事弁護は、犯罪を犯してしまった人、あるいはそう疑われた人を弁護する仕事です。彼らを弁護することは、弱い立場というにはピンとこないかもしれません。
弱い人の助けになりたいなら、消費者、労働者、被害者、ほかにもたくさん救うべき弱者がいるだろうと。

みんながそう思います。社会の大勢が、そう思います。
しかし、そのことにこそ、僕が刑事弁護を選ぶ理由があるのです。
罪を犯した人、罪を犯したと疑われた人は、人々に社会の敵とみなされます。刑事事件に巻き込まれたというだけで、社会に味方がいない。そのこと自体が、決定的に、罪を犯した人、罪を犯したと疑われている人を弱者たらしめています。
それをわかった上で、彼を助けることができるのは、弁護士しかいません。
そして、現実にも、捜査機関などの国家機関によって身体を拘束され、厳しい糾問の対象になり、大きな危険にさらされる弱者となります。弁護士は、このような刑事事件に巻き込まれた人を守る使命を負っていると思います。

弁護人がいなかったら、多くの声、それを代表する検察官によって、被告人は悪い奴であると糾弾されます。
弁護人は、これに反対の視点を投げかける役割を持っています。
検察官が「彼は有罪だ」といえば、弁護人は「彼は無罪だ」
検察官が「彼のやったことはひどいので懲役○年にすべきだ」といえば「彼には△△の事情があるので刑は軽くすべきだ」と。
お互いに論争をすることによって、システムとして公平な裁判が成り立つわけです。

ですから、弁護人にとって重要なのは、徹底的に依頼人の利益を追求することです。
依頼人の主張を、法的に精密な戦略に昇華し、勝利を追求する。弁護人はいわば依頼人の武器です。
依頼人の武器となり、徹底的にその利益を追求するために、弁護人は存在します。

その思いで刑事弁護士を志し、その思いで今も刑事弁護に携わっています。



実はこの文章、僕が弁護士になる前に、当時流行していたSNSに書き記したことをまとめたものです。
今見返してみて、当時と気持ちが変わっていなく、安心しました。

今後も、この思いを胸に、日々の事件に全力を投じたいと思います。