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2017年9月28日木曜日

「LGBT 差別 弁護活動」

2か月ほど前、世界テニス界の大重鎮であるマーガレット・コート氏にまつわる事件がありました。同氏は、オーストラリアの大手航空会社であるカンタス航空が同性婚の促進活動を行うことについて批判し、「可能な限りカンタス航空を利用することを避ける」と発言しました。
これに、たくさんのテニスプレーヤーたちが異を唱えました。
異を唱えたテニスプレーヤーの中には、同性愛者も、そうでないプレーヤーもいたと思います。
異を唱えたプレーヤーの一人が、昨年世界ランキング1位になったアンディ・マレーでした。
彼は、コート氏の発言について
「愛し合う二人が結婚することを、なぜ他人が問題視するのかわからない。男性同士であっても、女性同士であっても、それはすばらしいことだ。何が問題なのかわからない。みんな、同じ権利を持つべきものだ」
として、批判しました。

マーガレット・コート氏のテニスにおける功績には最大限の敬意を払いつつ、私はアンディ・マレーの意見を支持したいと思います。
人が誰を愛するかは自由で、(もし法律婚制度を採用するならば)法律婚制度は、それに見合ったものである必要があると思います。

私が弁護士として事件の依頼を受けて事件のことを聞いていく中で、依頼人から、実は同性愛者、両性愛者であるという告白を受けることがあります。そのことそのものが事件の背景にあったりする場合もあるからです。そして、そのことを自由に周りに話せないことが、事件の解決に関して大きな障害となっていることも多々あります。
こうした事件を受任した時、自分の恋愛対象、性対象について自由に語ることのできない世の中に対して、怒りに等しいようなもどかしい感情を持ちます。私自身はこの問題に関して全く偏見はありませんが、しかし、世の中にはあるのです。
同性愛というのは、異性愛者にとってみれば、自分とは違う存在です。自分とは違うものが、現実に存在しているのです。問題は、違うものを、違うものとして受け入れるか、気味の悪いものとして排除しようとするかです。これは性的マイノリティ(近時では、「LGBT」と呼ぶことが多いです)差別だけの問題ではなく、人種差別、国籍差別、性差別、宗教差別など、あらゆる差別にあてはまる問題だと思います。

マーガレット・コート氏の発言の背景には、差別的な意図というよりも、彼女の宗教的な世界観があったのかもしれないと思います。僕はキリスト教を差別するつもりはありません。彼女がその考え方に従って、ひとつの航空会社を今後利用しないという行動をとることは、もちろん自由だと思います。
しかし、その考え方の当否は、議論されるべきです。誰もが愛したい者を愛し、それを自由に表明することに障害のない社会であってほしいです。

2016年7月27日水曜日

「病院に行ってきました」

今日は病院に行ってきました。
ご心配なく、整形外科です。
左肩肩甲骨付近に痛みがありましたが、レントゲン等も問題なく、内科的な所見もみられないとのことで安心しました。どうやら筋肉か、筋を痛めたようです。湿布と飲み薬を処方されて帰ってきました。

どうしてこんなことをブログに書こうと思ったかというと、ネタ切れではなく、医師の対応について思うところがあったからです。
私はその医師を信頼しています。今日も、診察を受けてとてもよかったと思いました。理由はいくつかあります。

1、まずは私の話を聞いてくれる
 診察室に入ると、その医師は、まず私に「今日はどうしましたか」と聞きました。
 私が話し始めると、その医師は私の話を遮ることなく、一通りの話をきいてくれました。
 私は、痛みの内容と、どこがどのくらい前から痛むのかなどを自由に話しました。
2、私の話で不足している情報を質問してくれる
 私が一通り話すと、その医師は、私に、いくつかの質問をしました。
 「痛みの原因に心当たりはありますか」「どういう動きが痛みますか」「肩こりはありますか」「手にしびれはありますか」・・・などなど。
 その一問一問に、診断に必要な情報を得る明確な意図があるように感じられました。
3、一般人にもわかりやすい助言
 その後レントゲンを撮り、その結果も踏まえて、助言をいただきました。
 その医師は、限り難しい言葉は使わずに、かつ、明快な根拠を示しながら、判断を示しました。レントゲン写真を参照しながら、客観的な数字を示して、判断の根拠を説明しました。その説明は論理的で、どれも納得できるものでした。
4、「また来てください」といわなかった
 診察の結果により、特に大きな問題がないとわかったその医師は、「湿布と飲み薬を出しておきます。もしさらにひどい痛みなど様子が変わるようなら来てください(そうでない限りは来なくて構わない)」という趣旨のことをいいました。
 診療報酬を稼ぐために「様子を見せに来てください」といってもよかったはずです。その医師は、自分の利益ではなく、患者にとってベストな解決は何かを考えてそれを伝えているように感じられました。(むろん、医業に関しては素人ですから、素人的な見解です。実際に経過観察が必要な事例があることは理解しています)

こうして私は満足して帰ってきたわけですが、ふと、これは弁護士の法律相談や、依頼人との打ち合わせなどにも共通することがたくさんあるように思いました。
まず依頼人の主張にじっくり耳を傾け、法的判断に必要な事実関係をさらに聞いたうえ、わかりやすい言葉で、論理的に助言をする。これは弁護士の仕事をするうえでも基本的で、必要不可欠な要素だと思います。そして、「私に依頼してください」というのではなく、弁護士の援助が必要であるかどうかも含めて助言するのが、弁護士の役割だと思います。
私が患者としてその医師と話して信頼感を抱いたように、私も依頼人や相談者との間で、そのような関係を常に築きたいと思いました。
 
その整形外科は、何軒かの整形外科を実際に受診し、比較して選んだ病院です。
最寄りの整形外科より少し遠いですが、信頼に代えられるものではありません。
一般の方が弁護士を選ぶときにも、比較の視点は重要です。ほかの弁護士と比べてみてください、と自信をもって言える弁護士でありたいと思います。

2015年8月10日月曜日

「教える」

先日、私の所属する東京弁護士会において、法廷弁護技術の研修が行われました。
私は、東京弁護士会で、法廷技術研修を統括運営する立場を務めると同時に、研修の講師も担当しています。

この研修は,裁判の法廷で行われる弁護活動を、実際の裁判さながらに受講生が実演をし、それに対して講師がコメントをする、という方法で行われます。
このとき,講師のコメントのやり方には,一定の決まりがあります。
それは,①伝えたいメッセージを簡潔に表現し②受講生の実演で問題のある部分を正確に引用し③何がまずいのか理由付けを述べ④具体的な改善策を示す という4つの手順です。

具体的にやってみましょう。
①伝えたいメッセージを簡潔に表現
「主尋問では、誘導尋問をしないようにしましょう」
②受講生の実演で問題のある部分を正確に引用
「今の実演で、あなたはこう証人に問いました。『そのとき、犯人の顔が見えたんですね』」
③何がまずいのか理由付けを述べ
「尋問者が、証人をある答えに誘導する質問、つまり誘導尋問は、尋問者の意図を証人に言わせているだけになってしまいます。検察官から異議が出ますし、裁判所にこちらの意図する事実認定をしてもらうこともできなくなります。主尋問では、オープンクエスチョンをして、証人自身に自発的に事実を語ってもらうようにしましょう」
④具体的な改善策を示す
「ですから、こう問いましょう。『そのとき、あなたには何が見えましたか』」

これは最も基本的な技術のひとつについてのコメントの一例を紹介したものですが、最近、この指導方法、何も法廷技術のみにとどまらず、「教える」ということに普遍的なものだと思うようになりました。
私は、大学院の後輩などに、司法試験の受験科目の答案について指導することがあります。
大学の部活の後輩に、(教えるほど上手でないことを百も承知で言いますが)テニスの指導をすることもあります。
そういうとき、私は常に上の指導方法を意識しています。
もちろんそのまま全部そっくり行うわけではありませんが、特に④具体的な改善策を示すということは、どんな指導にも不可欠だと思います。
優れた指導は必ず具体的です。「この答案の書き方はどうもわかりにくい」とか「君のフォアハンドはどうもよくないね」などといった抽象的な助言では何の意味もないのです。
どうすれば答案がわかりやすくなるのか、どうすればフォアハンドが良くなるのか、具体的にその人がどうすべきかを助言しなければいけません。「『~と解する』はやめて『~である』と書きなさい」とか「グリップを太くしろ!」とか、助言は具体的であればあるほど(それが取捨選択の対象になるという意味も含めて)役に立つと思います。

この助言には、助言をする側の能力がもろに出ます。
やってみるとわかります。自分が理解していないことについて、具体的な助言はできない。
法廷技術なら裁判の、法律の答案なら法律の、テニスならテニスの、深い知識と理解が求められるのです。

ですから、自分が「教える」機会のために、日々、いろいろなものに触れて刺激を受け、学び、知識や理解を深めるように努めなければなりません。
法廷技術研修や新人の指導など、自分が教える立場になることも多くなってきましたが、もちろん、まだまだ僕自身も足りません。これからも、自分に謙虚に、研鑽を積んでいきたいと思います。学んだことを他者に伝え、少しでも役立ててもらえればよいと思います。
そしてそのことこそが「教える」ことの本質ではないかと思う次第です。

さて、これから、明後日から始まる日弁連主催の3日間研修の準備です。

2015年7月6日月曜日

「民事もやるんですか?」

私の所属する事務所は、刑事事件を中心に扱っています。
すると、たくさんの人から、この質問をされます。

「民事もやるんですか?」

特に、私が刑事事件に力を入れていることを知っているほかの弁護士や、裁判官、検察官などからも聞かれることがあります。

やってます!笑

もちろん、ホームページをご覧になってお問い合わせをいただく方はほとんど刑事事件のご依頼です。しかし、刑事事件を担当したことで信頼いただき、その方から民事事件のご依頼を受ける例のほか、事務所事件とは別に個人として依頼を受ける事件など、相当数の民事事件も取り扱ってきました。
その中で、刑事事件の経験が民事事件にも生きるなあと思うことが多々あります。

ひとつは、交渉力です。
刑事事件の弁護活動では、たくさんの交渉を行う必要があります。
被害者との示談交渉。検察官との交渉。
そして、その交渉は、通常、マイナスから始まります。
依頼人は拘束され、刑事処分が迫っています。
場合によっては足元を見られるような交渉になりがちです。
そのなかで交渉を行うには、的確に先を見通し、交渉する相手の気持ちを考え、お互いにプラスになるような解決をできるよう、交渉に臨むことが必要です。こうした力が、事件を通じて鍛えられます。
民事事件も、相手との交渉になることがあります。民事事件では、こちらにも有利な材料が多い場合も多いです。刑事事件で培った交渉力が役に立つと感じられることが多々あります。

もうひとつ重要なのは、尋問技術です。
刑事事件では、常に証人尋問に直面します。
刑事裁判では、証人尋問が当事者の立証活動の中心になることが多いです。私たちは、事件を通じて、常に証人尋問を行っています。
また、刑事裁判に勝つため、事件の外でも尋問技術のトレーニングを行っています。
民事事件でも、証人尋問をおこなう事件があります。私も何件も経験しています。
このとき、刑事事件で鍛えられた証人尋問技術ほど頼りになるものはありません。
民事事件も、刑事事件も、証人尋問の本質は変わりません。むしろ、証人尋問の比率が大きい刑事裁判で鍛えられた尋問技術をもつ弁護士は、相手にとって脅威といえると思います。

このように、刑事事件の経験が民事事件にいきる場面は多くあります。
一方で、やはり、同世代の弁護士よりは民事事件の経験数は少ないので、私などはどうしても民事の知識の豊富さでは勝負できません。
知識の足りなさは、その都度事件を受けた時に、いつも以上にしっかりと調査することを心がけています。
そして、刑事事件で培った自分なりの武器をもとに、民事事件の弁護もとりくむようにしています。

最近気づいたのは、民事事件もとても魅力的な仕事ですね。
依頼人とともにあれやこれやと話しながら、いろいろな解決方法を模索するというのは、創造的でやりがいのある仕事だと思います。

2015年5月23日土曜日

「勉強や研究」

「実務に出ると、司法試験で勉強したことなんて忘れちゃうよね」

こういうことをいう弁護士がいるやに聞きます。
実務に出ると、日々の事件に追われます。日々の事件は、司法試験で勉強したような、法律の細かい解釈や判例の解釈を必要としない事件がほとんどです。だから、冒頭のような言葉が聞かれるのでしょう。

しかし、私は、絶対にそういう実務家にはなりたくありません。
私自身も、じゃあすべて司法試験の知識を覚えているかといったら絶対にそんなことはありません。忘れている部分もあります。ですが、それを当然とするのではなく、日々法律的知識・思考力の向上や、日々出される裁判例・判例のキャッチアップに務めたいと思っています。

この土日を使って、日本刑法学会大会に来ています。
刑事法の研究者の先生方、裁判官などが研究を報告されました。
刑事法概念の本質にさかのぼったきわめて学術的に興味深い研究や、裁判員裁判と刑法理論の架け橋といったような実務に大きく関係する問題まで、非常に充実した時間を過ごせています。

これまでたくさんの刑事事件を経験する中で、司法試験で勉強したことや、実務に出てから勉強したことが、本当に役に立っています。
それが法廷で武器になることを実感しています。
法廷で起こっていることが適切なことか、法廷に出された証人の尋問や証拠が適切なものかは、法律の条文、その解釈を述べた判例を理解していなければ、判断できません。
知識を忘れながらでも、勉強を怠りながらでも、慣れてしまえば「できてしまう」のかもしれませんが、ベストな弁護からはほど遠いものとなってしまうでしょう。

今後も、日々の事件に全力を尽くすことはもちろん、ベストな弁護をするための勉強や研究にも力を入れていきたいと思っています。

2015年2月11日水曜日

「刑事事件の弁護士費用」

近時,弁護士の広告宣伝が解禁され,インターネット上でも,様々な法律事務所が広告を行うようになりました。
また,弁護士費用の設定についても,各法律事務所で様々な個性が見られます。
以前は,弁護士会が,各弁護士の報酬の標準を定める基準を作り,多くの弁護士が,これに従った価格設定をしていました。しかし,数年前,この基準は撤廃され,弁護士費用の設定は自由になりました。

費用の設定が自由であることはとても重要です。
費用の設定が自由であることによって,各弁護士事務所が,よりたくさんの人にご相談に来ていただくことができるような価格設定を競争します。価格設定に対して,よりよい法的サービスを提供できるよう,法的サービスの質をも向上させます。
こうして,全体として見れば,一般の方々によりよいサービスをより安価で提供することができるようになりますし,依頼人から見れば,より良い法的サービスにアクセスすることが容易になるのです(もちろん安いばかりがいいというわけではありませんが)。

このように,一般の方々がよりよい弁護士の法的サービスを受けられるようになるために,価格設定の自由は非常に重要なことだと思っているのですが,近時,「この価格設定は問題だろう!」と思う価格設定を目にすることがあります。



その1 保釈が認められた場合,保釈保証金の●パーセントを報酬とする

保釈とは,起訴後,拘束されている被告人を釈放するための手続です。一定の保釈保証金を裁判所に収めることで,裁判まで拘束を解放されるのです。
この保釈保証金の金額は,裁判所が決めますが,その際に弁護人が裁判所と交渉するのが一般です。依頼人の負担が少しでも少なくなるよう,交渉します。裁判官が200万といったら,150万で何とかなりませんか,と交渉します。
ここで,保釈金の額の何パーセント,という報酬基準だったらどうでしょうか。弁護人が交渉すればするほど,弁護人の報酬が下がってしまいます。弁護人に,依頼人のための粘り強い交渉が期待できるでしょうか。
弁護人は,依頼人の利益を追求する義務を負っています。ですから,弁護士の報酬は,依頼人のための活動と連動する必要があります。相手から回収した額の●パーセント,とか,無罪の場合は●円,という報酬の定め方であればよいのですが,依頼人が負担する保釈保証金を基準に報酬を決めると,依頼人の利益と弁護士の利益が相反してしまうのです。
弁護士は,依頼人の利益と自分の利益が相反する事件を受任してはいけない義務があります。弁護人の役割は,依頼人の利益のために活動することだからです。事件自体の利益が反しているわけではありませんが,具体的な弁護活動の場面で依頼人との間に利益相反が起こるような価格設定は,このような弁護人の義務・役割に反していると思います。


その2 捜査弁護の着手金●円(ただし,接見3回まで

捜査弁護とは,裁判になる前の弁護をいいます。身体拘束されている依頼人に弁護人が会いに行って(「接見」といいます),取調べに対する対応をしたり,身体拘束から解放されるための活動をするのが中心になります。ですから,接見は捜査弁護の最も基本的な活動です。
あなたが歯医者に行って「痛かったら,左手を挙げて教えて下さいね。ただし,3回まで。4回目からは,追加で費用が発生します。」といわれたらどうでしょう。痛いって言いにくくなりますよね。そもそもそんな歯医者には次からは行かないかも知れませんが。
接見も同じです。犯罪を疑われ,拘束された依頼人は孤独です。心の「痛い」を抱えています。一度でも多く接見に来て欲しい。しかし,3回までしか基本料金で来てもらえないのなら,接見に来て欲しい,と言うのを躊躇してしまいます。そういう状況で,果たして依頼人のためにベストな弁護ができるのでしょうか。
そもそも,捜査段階の弁護活動で,接見3回で十分な活動をできる事件は,少なくとも私の経験上は,ありません。正しい弁護活動をすれば,最初の3日で使い切ってしまう事件もたくさんあると思います。
弁護人には,受任した事件について,依頼人のために最善の努力をする義務を負っています。受任しているにもかかわらず,最大限の弁護活動を躊躇させるような価格設定は,この義務に反するおそれがあるのではないかと思っています。もし4回以上接見するには費用が十分でないなら,もっと最初から高い費用をいただいて,この費用でできることはすべてやる,接見回数の制限などもしないというほうが,よっぽど健全だと思います。


刑事事件の弁護士費用の設定は自由であるべきです。
しかし,それは,「依頼人のため」という弁護士の本分に反するようなものであってはいけないと思います。

なお,私及び私の所属する事務所では,保釈の報酬はいただいておりませんし,接見回数の制限はありません。
事件自体の着手金をいただけば,必要な弁護活動はすべて行います。

2015年1月30日金曜日

「法律相談」

10日に1回!が途切れました。今月2度目の更新です。
だれも気にしてはいなかったと思いますが・・・

さて、おかげさまで、たくさんの法律相談のお問い合わせをいただいております。
当事務所のホームページ等をごらんになってのご相談が多いですが、時には以前の依頼人のご紹介ということもあり、うれしい限りです。
今日は、その法律相談のお話です。

法律相談の役割は、もちろん、法律にまつわる悩みをお聞きし、それに法的助言を与えることです。
この役割をもう少し細かく分割すると、「お聞きする」役割と「助言を与える」役割に分けられます。

まず、「お聞きする」ことです。
私の信条は、徹底的に依頼人の話を聞くことです。法的助言のためには、正確に事実関係を把握することが必要です。事実を間違って把握したら、正しいアドバイスはできません。
事実を正しく把握するためには、質問の技術が必要です。言葉のコミュニケーションというのはむずかしいもので、 同じことを聞くのでも、聞き方ひとつで全く把握できる事実が違ってきかねません。
たとえば、最も基本的な技術として「オープンクエスチョン」があります。「あなたの朝ごはんはパンでしたか?」ときくより、「あなたの朝ごはんの内容を教えてください」と聞くほうが、正確に朝ごはんを把握できるはずです。今のは一例ですが、こうした質問の技術を、ご相談の際、あるいは依頼人との接見の際など、人から事実を聞く機会には常に意識しています。
そして何より、ご相談者の立場に立って考えることです。何を聞きたいのか、何を求めているのか、相談者の気持ちに沿って、丁寧にコミュニケーションをとることは重要なことです。

そして「助言を与える」ことです。
親身になって話を聞くことは、ある意味、誰でもできます。
聞いてからも重要なのです。「お聞きする」段階での、相手の気持ちに沿うモードをいったんリセットします。親身になることは重要ですが、ご相談者に肩入れして肯定するだけでは正しいアドバイスをしたことにはなりません。的確に事実を分析して助言するためには、冷静な視点が絶対に必要です。
そして、助言はできるかぎり明確でなければなりません。もちろん、職業柄、「絶対こうだ」とは言いにくい場合がほとんどです。お医者さんと一緒です。しかし、「Aという選択肢もある、Bという選択肢もある、自分で考えてね」では、法律相談の意味はありません。
できるかぎり、明確に、「こうすべきだ」「こうなる可能性が高い」という助言ができなければなりません。

弁護士が専門的職業として提供する法律相談は、単なる人生相談であってはいけません。
事実を聞く技術、助言を与える技術、そのどちらもが専門的技術として提供されねばなりません。
しかし、わたしも人間です。
技術だけで動いているわけではありません。法律相談や事件を担当する中で、心を動かされることはたくさんあります。この方のためにできることをしたい、それが多くの事件での原動力となっています。
法律相談にいらっしゃる方は、皆、とても不安な面持ちでやってこられます。相談が終わり、いらした時とは違う少しほっとした表情でお帰りになるのを見ると、この仕事をやっていてよかったと感じます。

2014年12月31日水曜日

「1年を振り返って」

2014年もあと少しとなりました。

今年は、非常に感慨深い年になりました。

まずは刑事弁護。
気づけば、経験した刑事事件はかなりの数になっていました。
数をこなせばいいというものではもちろんありませんが、周りにいる素晴らしい先輩たちのおかげで、重大事件も含めたくさんの種類の事件を担当し、指導を受け、正しい方向に導かれていると思います。自分の弁護活動にも自信が持てるようになりました。
昨年までは事件を先輩と共同で受任することが多かったですが、今年は多くの事件を一人で担当しました。私のモットーでもある、一人一人の依頼人の話をよく聞くことに徹し、丁寧な弁護活動を心掛けました。幸い、多くの依頼人のために良い結果を得ることもできました。
裁判員裁判でも主任弁護人を務めるようになりました。たくさんの証人尋問や弁論を担当しました。裁判官から非常にわかりやすかったとのコメントをいただいたりもしました。法廷での弁護活動も自信をもてるようになりました。

刑事弁護以外の弁護士活動。
今年は多くの場所で、論文の執筆や、講演の機会をいただきました。自分の考えていることを外部に発表することはとても好きなので、今後も積極的に行いたいたいと思います。
このブログを始めたのも今年でした。おかげさまで、ブログの更新を楽しみにしていると言っていただいたり、ブログを見たというご相談者の方もいらっしゃったりして、うれしい限りです。
事務所のホームページも、10月にリニューアルしました。ホームページのコンテンツ作成にも大きく関わりました。少しでもわかりやすく情報が提供できているでしょうか。このブログをご覧になっていただいている皆様も、ぜひ一度ご覧ください。
そして、事務所の刑事事件とは別に、個人の弁護士として、新しい分野に挑戦しようとしていることがあります。時期が来たら、またこのブログでも、可能な限りで書きたいと思っています。

そのほか、私生活でも非常に感慨深い一年になりました。
趣味などでも、いい成果を出せたりもしました。

2014年は、このように非常に充実した1年でした。
今、すごくパワーがみなぎっています。
来年も、どんどん高いレベルの弁護活動を目指して邁進します。
そして、新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

2014年11月30日日曜日

「スピーチ」

ここのところ、いろいろなところで前に出て話す機会をいただいていました。
弁護士としてイベントでお話したり、プレゼンする機会はもちろん、友人の結婚式でスピーチをさせていただいたりもしました。
こういった機会を与えていただくごとに、各方面との仕事のつながりや、素晴らしい友人関係に感謝するものです。

さて、法廷でも、人の前に出て話す機会がたくさんあります。
特に、英語では「final speech」とも言われる最終弁論は、まさにスピーチです。
最終弁論は、弁護人の主張を裁判官や裁判員に伝える重要な機会です。
一人でも多くの裁判官や裁判員に主張に共感してもらえるよう、あの手この手を尽くします。
そのために必要な技術がたくさん提唱されています。

私は、法廷以外でのスピーチやプレゼンの場面でも、実はこの弁論技術を意識して応用します。
法廷とはスピーチの目的は違います。それは、取調べの可視化を理解してもらうことだったり、裁判員裁判に興味をもってもらうことだったり、新郎新婦を感動させることだったりします。
しかし、人に共感してもらうための興味の引き方、構成、話し方などは、目的は違っても同じところも多いはずです。
そのテーマで一番相手の共感を得ることができるのはどういうスピーチか、自由な発想で考え、実践するのです。

そして、このような実践は、逆に、法廷技術の向上にも非常に役に立ちます。
裁判での弁論というのは、普段から私たち弁護士がなじみのある分野ですから、法律家として考えが凝り固まってしまいがちです。
しかし、法律という枠を外れて自由に構成を考える機会を持つことで、本来あるべき自由な発想に立ち返ることができます。
結果、裁判での弁論でも、斬新な発想や意外な視点を提供することができたりするのです。

ですから、今後も、そのような機会をいただける限り、積極的に手をあげたいと思っています。

2014年8月6日水曜日

「Youtube」

「初頭効果」という言葉があります。
人は、一番最初に聞いた情報を最もよく記憶する、という心理学上の概念です。
この心理的現象を尊重した、法廷での弁護技術があります。
たとえば、弁護人として主張を伝えるとき、インパクトのある主張を意識的に最初に持ってくる。
証人を尋問するとき、もっとも裁判官(裁判員)に注目してほしい事項を最初に聞く。
こうすることで、主張の重要部分を記憶に残るようにし、かつ、出だしのインパクトによって主張全体に興味を持ってもらうことができます。基本的な法廷弁護技術のひとつといえます。

さて、表題ですが、ご存じのとおり、Youtubeは動画配信サイトです。私も、結構利用します。
ここで取り上げたいのは、動画の最初に流れるCMです。Youtubeでは、動画の最初にCMが流れることがあります。動画とは関係ない、一般的な商品などのCMです。

このCMの多くは、5秒経過後にスキップできることになっています。

つまり、これをCMの配信主体である企業から見れば、5秒の間に興味を持たせられなければ目的のCMを流すことはできないということです。
これは、上に書いた法廷技術、つまり一番最初の主張にインパクトを持たせる、ということと非常に共通しています。
しかも、最初の5秒で視聴者の興味を持たせなければ、(法廷での弁護人の陳述を裁判官は一応きかなければいけないのと異なり)自分の主張自体をすべて聞いてもらえなくなるので、よりシビアです。
さらに困難なことには、だれもCMを見に来ている人はいないということです。弁護人の弁論は一応そのための時間が与えられていて、裁判官も一定の興味を持っています。しかし、CMを目にする人は、CMでなく明らかに動画を見に来ています。好きなアーティストのPVだったり、名プレーヤーのテニスの試合がすぐに始まることを期待してクリックしているわけです。CMは、動画を見るための邪魔者にすぎません。
これは、CMを配信する側からすれば、かなり悲劇的な状況であるといっても過言ではありません。

僕も、ほぼすべてのCMを5秒でスキップします。
いろいろなCMがあります。最初の5秒がBGMのイントロだけで終わってしまうCMなどは論外。最初に商品名を声高にアピールするCM、商品の効能や実績をアピールしようとするCMなど、5秒間を意識したと思われるものもありますが、やはりほぼすべてをスキップします。

そのような中で、先日、最後までCMを見たことがありました。そのCMの出だしはこうでした。
(高校生が)「また間違えてる」(高校生の視線の先に挙動不審の外国人)
そして5秒をすぎるあたりで、外国人が高校生に何かを訪ねようとしてきます。
結局これは、「富士山(ふじさん)駅」に行きたい外国人が「富士山下(ふじやました)駅」(※群馬県所在)と間違えたというストーリーでした。


後から振り返ってみるとすごくうまいと思います。
まず「間違えている」というメッセージ。他人の間違いや失敗に興味を持つのは人の常です(笑)
しかも「また」ということで、よくある間違いだということを強調。どんな間違いなのだろうという興味を引き立てます。
そして、5秒過ぎてスキップができるようになるあたりで、外国人が話しかけてきて、間違いの内容が分かりそうになる。スキップせずに知りたくなります。
これで、僕は5秒過ぎてCMを見続けました。

CMの商品は、Googleの音声検索でした(高校生がスマホの音声検索で富士山駅までのルートを説明する話)。
出だしの話は、直接には商品と関係がありません。しかも、僕自身商品に特に興味があったわけでもありません。しかし、それでもGoogleは僕にCMを見せることに成功しました。

人を引き込むストーリーの出だしは決まった形はなく、いくらでも工夫の余地があります。
それをこんな場面で知らされることになるとは。
日常触れる何気ない場面にも、弁護技術のヒントが隠されています。

2014年7月24日木曜日

「リピーター」

今日,昔事件を担当した方から連絡が来ました。
新しい法律問題が生じたということで,ご相談のお電話でした。


昨年末くらいにも同じことがありました。
元刑事事件の依頼者が,新しい民事関係の法律相談にいらっしゃいました。
弁護士として年数を重ね,こういったお問い合わせが増えていくのは嬉しいことです。


刑事事件は,性質上,リピーターが少ないものです。
少ない方がいいです。
仮にあったとしても,複雑な心境でしょう。
担当した方が,また再犯をした(あるいは,疑われた)ということですから。
もちろんそういう場合でも,ご依頼があれば担当しますが。


今日のご相談も民事関係のご相談でした。
刑事事件を担当した方が,刑事事件でない分野までご相談してくださるのは,担当した刑事事件を通じて,刑事事件に限らない信頼感を持っていただいたと感じられるので,すごく嬉しいです。
刑事事件を主な取扱分野としていますが,もちろん民事ができないことはないので,丁寧に調べてお答えしました。


刑事事件は一回きりのものです。
一回きりがいいです。
でも,刑事事件を丁寧に担当すること通じて,刑事事件に限られない人のつながりが増えていくことも,弁護士の仕事の醍醐味だと感じました。

2014年6月20日金曜日

依頼者からの手紙


先日、担当した事件の依頼人からお手紙をいただきました。

事件自体は、それなりの重大事件で、裁判員裁判の事件でした。
検察官の求刑は懲役10年。しかし、判決は、懲役6年6か月でした。
検察官の求刑が適切だったかは相当に疑問のある論告の内容でしたが、ともあれ、我々が求める結論に限りなく近い量刑となりました。

お手紙を通じて、依頼人はこれ以上ない感謝の言葉を述べてくれました。

もちろん、感謝されることを「目的」にやっているわけではありません。
求めているのは、依頼人の感謝ではなく、依頼人の利益です。
感謝されなくとも、依頼人の利益を最大限にするための活動を行う使命があります。
逆に、「頑張ってくれた」と感謝されても、結果が出なければ、その事件に対しては悔しい思いが極めて強く残ります。
最善の結果を求めて、どんな人にも最善の弁護を提供しなければならないと考えています。

しかし、それでも、人から感謝をされるというのはうれしいものです。

今回は、依頼者の利益にもかなう結果が出たから喜べるのかもしれません。
感謝をされることが目的ではありませんが、依頼人の利益を追求した結果として依頼人から感謝されるのは、本当に喜ばしいことです。
明日からもまた刑事弁護がんばろう!ってなります。

いつも結果を保証できる仕事ではありません。
でも、一つでも多く、少しでもよりよい結果を出せるように、日々腕を磨いていきたいと思います。