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2017年9月28日木曜日

「LGBT 差別 弁護活動」

2か月ほど前、世界テニス界の大重鎮であるマーガレット・コート氏にまつわる事件がありました。同氏は、オーストラリアの大手航空会社であるカンタス航空が同性婚の促進活動を行うことについて批判し、「可能な限りカンタス航空を利用することを避ける」と発言しました。
これに、たくさんのテニスプレーヤーたちが異を唱えました。
異を唱えたテニスプレーヤーの中には、同性愛者も、そうでないプレーヤーもいたと思います。
異を唱えたプレーヤーの一人が、昨年世界ランキング1位になったアンディ・マレーでした。
彼は、コート氏の発言について
「愛し合う二人が結婚することを、なぜ他人が問題視するのかわからない。男性同士であっても、女性同士であっても、それはすばらしいことだ。何が問題なのかわからない。みんな、同じ権利を持つべきものだ」
として、批判しました。

マーガレット・コート氏のテニスにおける功績には最大限の敬意を払いつつ、私はアンディ・マレーの意見を支持したいと思います。
人が誰を愛するかは自由で、(もし法律婚制度を採用するならば)法律婚制度は、それに見合ったものである必要があると思います。

私が弁護士として事件の依頼を受けて事件のことを聞いていく中で、依頼人から、実は同性愛者、両性愛者であるという告白を受けることがあります。そのことそのものが事件の背景にあったりする場合もあるからです。そして、そのことを自由に周りに話せないことが、事件の解決に関して大きな障害となっていることも多々あります。
こうした事件を受任した時、自分の恋愛対象、性対象について自由に語ることのできない世の中に対して、怒りに等しいようなもどかしい感情を持ちます。私自身はこの問題に関して全く偏見はありませんが、しかし、世の中にはあるのです。
同性愛というのは、異性愛者にとってみれば、自分とは違う存在です。自分とは違うものが、現実に存在しているのです。問題は、違うものを、違うものとして受け入れるか、気味の悪いものとして排除しようとするかです。これは性的マイノリティ(近時では、「LGBT」と呼ぶことが多いです)差別だけの問題ではなく、人種差別、国籍差別、性差別、宗教差別など、あらゆる差別にあてはまる問題だと思います。

マーガレット・コート氏の発言の背景には、差別的な意図というよりも、彼女の宗教的な世界観があったのかもしれないと思います。僕はキリスト教を差別するつもりはありません。彼女がその考え方に従って、ひとつの航空会社を今後利用しないという行動をとることは、もちろん自由だと思います。
しかし、その考え方の当否は、議論されるべきです。誰もが愛したい者を愛し、それを自由に表明することに障害のない社会であってほしいです。

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