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2014年12月31日水曜日

「1年を振り返って」

2014年もあと少しとなりました。

今年は、非常に感慨深い年になりました。

まずは刑事弁護。
気づけば、経験した刑事事件はかなりの数になっていました。
数をこなせばいいというものではもちろんありませんが、周りにいる素晴らしい先輩たちのおかげで、重大事件も含めたくさんの種類の事件を担当し、指導を受け、正しい方向に導かれていると思います。自分の弁護活動にも自信が持てるようになりました。
昨年までは事件を先輩と共同で受任することが多かったですが、今年は多くの事件を一人で担当しました。私のモットーでもある、一人一人の依頼人の話をよく聞くことに徹し、丁寧な弁護活動を心掛けました。幸い、多くの依頼人のために良い結果を得ることもできました。
裁判員裁判でも主任弁護人を務めるようになりました。たくさんの証人尋問や弁論を担当しました。裁判官から非常にわかりやすかったとのコメントをいただいたりもしました。法廷での弁護活動も自信をもてるようになりました。

刑事弁護以外の弁護士活動。
今年は多くの場所で、論文の執筆や、講演の機会をいただきました。自分の考えていることを外部に発表することはとても好きなので、今後も積極的に行いたいたいと思います。
このブログを始めたのも今年でした。おかげさまで、ブログの更新を楽しみにしていると言っていただいたり、ブログを見たというご相談者の方もいらっしゃったりして、うれしい限りです。
事務所のホームページも、10月にリニューアルしました。ホームページのコンテンツ作成にも大きく関わりました。少しでもわかりやすく情報が提供できているでしょうか。このブログをご覧になっていただいている皆様も、ぜひ一度ご覧ください。
そして、事務所の刑事事件とは別に、個人の弁護士として、新しい分野に挑戦しようとしていることがあります。時期が来たら、またこのブログでも、可能な限りで書きたいと思っています。

そのほか、私生活でも非常に感慨深い一年になりました。
趣味などでも、いい成果を出せたりもしました。

2014年は、このように非常に充実した1年でした。
今、すごくパワーがみなぎっています。
来年も、どんどん高いレベルの弁護活動を目指して邁進します。
そして、新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

2014年12月20日土曜日

「ネクタイ」

僕にはお気に入りのネクタイがあります。

このネクタイ、僕が何か新しいことにチャレンジするとき、いつも願掛けのようにつけています。
このブログに使っている写真を撮るときにもつけていました。
つまり、このブログの右側の画像の僕がしているのが、お気に入りのネクタイです。
このネクタイ、ドット柄に見えますが、よく見ると、桃と、栗と、柿のマークになっています。
そして、ネクタイの下部には、「桃」「栗」「柿」「3」「8」というデザインが入っています。

そう、このネクタイ、「桃栗三年柿八年」ということわざを表現したネクタイなのです。

このネクタイは、弁護士の1年目に、今の妻がプレゼントしてくれたものです。
弁護士1年目の時、いろいろなことに悩みました。
1年目の自分で、依頼人のためにベストな弁護を提供できているだろうか、自問自答しました。
プレッシャーに押しつぶされそうになりました。
仕事が辛いと思うときもありました。
そういう自分を知ってか、「何事も成し遂げるまでには時間がかかる。肩の力を抜きなさい」という意味を込めて、プレゼントしてくれたものでした。

先週、弁護士をはじめて3年が経過しました。
刑事事件に関していえば、普通の人の10年分くらいやったかもしれません。
担当している事件で弁護活動が実り、良い結果が出るたびに、「これでいいんだ」と自信を持てるようになりました。
1年目に感じていたプレッシャーは、自信に上書きされていきました。
立派な桃や栗に育ったでしょうか。
今は、様々な事件の依頼を受けても、依頼人のために自信を持って弁護に携わっています。

プレッシャーがなくなるといっても、それは緊張感をなくしていいという意味ではありません。
ここで気を抜けば、たちまち2流の弁護士になってしまいます。
弁護士にとって、脂がのってくる時期に入っていくと思います。
若手としての機動力や熱意は忘れずに。経験によって培った自信を持って。
今度は立派な柿を目指したいと思います。

2014年12月10日水曜日

「錦織選手の魅力」

今日は趣味の話をします。

僕はテニスをやるのも好きですが、見るのも非常に好きです。
今、日本は、テニスが非常に盛り上がっていますね。
もちろん、錦織圭選手の大活躍の効果です。

錦織選手が活躍し始めてから、テニスを知らない人に
「錦織圭のどんなところがすごいのか」
と聞かれることが多くなりました。
もちろん彼の技術は素晴らしいものがあります。僕が初めて彼のプレーを見たのは、彼がまだ17歳くらいの時のことですが、一目見た時からこの選手はすごいと感じるものでした。
パワー、スピード、フットワーク、戦術、どれをとっても一流でしょう。サーブは少しイマイチですが、全体として世界トップクラスの技術をもっていることは、すでに錦織選手自身が結果で証明していると思います。
・・・と、素人なりにウンチクを語りますが、私はプロではないのでこのくらいにしておきます。

私は、素人の一テニスファンから見た、錦織選手の人柄としての魅力に触れたいと思います。
錦織選手の魅力は「自然体」です。
プロのスポーツ選手はいろいろなタイプがいます。
本田圭佑選手のようにいわゆる「ビッグマウス」のタイプもいれば、僕の好きなテニス選手であるナダル選手のように非常に謙虚なタイプもいます。
もちろん、自信も謙虚さも重要ですから、どちらのタイプにも魅力があります。しかし、僕が思うに、錦織選手はこのどちらのタイプでもないんです。
数年前は、「フェデラー(当時世界ナンバー1)と練習できたことは一生の宝物」と言ったり、下位のグレードの大会で勝ったり全米オープンでベスト8に行ったときに本当にうれしそうだったんですね。
でも、今年はそうではありません。全米オープンの時には「勝てない相手はもういない」とまでいうようになりました。
謙虚な人がビッグマウスになったのか?
違います。彼が「勝てない相手はもういない」と言った時には、その言葉がすごく納得いったんです。「うん、その通りだよね」と。今のは一例ですが、彼の言葉は、いつも飾るところがなく、そのままの意味ですんなり入ってくるんです。
そして、プレーの話に戻ると、プレーも自然体。このことが、試合中も余裕を生み、すばらしいパフォーマンスに結びついているのではないでしょうか。

今後も、錦織選手がすばらしい結果を出すことを期待したいですね。
そして、日本全体のテニスが盛り上がり、さらに錦織選手に続く選手がどんどん現れることを望みます。

余談ですが、先日有明でのエキシビジョンの時に、インタビュアーから
「勝てない相手はもう、いますか?」
と聞かれて、はにかみながら、
「えー、いま・・・せん(笑)」
と答えていた錦織選手はすごくかわいかった!笑

2014年11月30日日曜日

「スピーチ」

ここのところ、いろいろなところで前に出て話す機会をいただいていました。
弁護士としてイベントでお話したり、プレゼンする機会はもちろん、友人の結婚式でスピーチをさせていただいたりもしました。
こういった機会を与えていただくごとに、各方面との仕事のつながりや、素晴らしい友人関係に感謝するものです。

さて、法廷でも、人の前に出て話す機会がたくさんあります。
特に、英語では「final speech」とも言われる最終弁論は、まさにスピーチです。
最終弁論は、弁護人の主張を裁判官や裁判員に伝える重要な機会です。
一人でも多くの裁判官や裁判員に主張に共感してもらえるよう、あの手この手を尽くします。
そのために必要な技術がたくさん提唱されています。

私は、法廷以外でのスピーチやプレゼンの場面でも、実はこの弁論技術を意識して応用します。
法廷とはスピーチの目的は違います。それは、取調べの可視化を理解してもらうことだったり、裁判員裁判に興味をもってもらうことだったり、新郎新婦を感動させることだったりします。
しかし、人に共感してもらうための興味の引き方、構成、話し方などは、目的は違っても同じところも多いはずです。
そのテーマで一番相手の共感を得ることができるのはどういうスピーチか、自由な発想で考え、実践するのです。

そして、このような実践は、逆に、法廷技術の向上にも非常に役に立ちます。
裁判での弁論というのは、普段から私たち弁護士がなじみのある分野ですから、法律家として考えが凝り固まってしまいがちです。
しかし、法律という枠を外れて自由に構成を考える機会を持つことで、本来あるべき自由な発想に立ち返ることができます。
結果、裁判での弁論でも、斬新な発想や意外な視点を提供することができたりするのです。

ですから、今後も、そのような機会をいただける限り、積極的に手をあげたいと思っています。

2014年11月19日水曜日

「身体拘束」

逮捕や、勾留は、人の身体の自由を制圧する行為です。人の身体を拘束する行為です。
逮捕は犯罪です。ただし、警察官などが容疑者を捕まえるときには、特別に許されています。

一般には、悪いことをしたんだから、逮捕されて当然だと思われています。
しかし、それは違います。
証拠によって犯罪が証明され、裁判で有罪判決を受けるまでは、人は「無罪の推定」を受けます。
現実に、逮捕・勾留された人も、多くの人が不起訴(裁判を受けない)処分となっています。
逮捕された時には派手に報道される事件も、不起訴となっている事件は少なくありません。
逮捕・勾留される人が悪い人であるとは限らないのです。

では、なぜ逮捕・勾留が正当化されるんでしょうか。

逮捕・勾留は、一般的に犯罪の嫌疑があり、「罪証隠滅」や「逃亡」をする相当な疑いがあるときになされることになっています。わかりやすくいいかえると
 「今は疑わしいだけで有罪とは限らないけども、釈放しておくと証拠を隠されたり逃げたりする可能性が高いから、拘束しておく」
ということです。
逆にいえば、そういう可能性が低ければ、家から取調べに通い、家から裁判に通うということで全く問題はありません。裁判で有罪とされれば、刑務所へ行って罪をつぐなえばいいわけです。
裁判で有罪判決を受けるまでは無罪の推定を受ける市民を拘束するのですから、拘束の条件は厳格でなければならないはずです。証拠隠滅や逃亡のおそれは、具体的なものでなければならないはずです。

しかし、現実はそうなっていません。
極めて抽象的な証拠隠滅のおそれや逃亡のおそれがあると認定されて、逮捕・勾留されています。そして、ずっと拘束されたまま裁判を受けるケースも多くあります。
「罪証隠滅や逃亡のおそれは読めない。けれども、一度されてしまったら取り返しがつかないので拘束するのだ」と、ある検察官(裁判官だったかもしれません)は言っていました。

私は、2年前、日弁連に派遣されたチームの一人として、イギリスの刑事事件の現状視察に行きました。イギリスでは、取調べを受ける前に弁護人の援助を受ける権利が保障されています。それを学びに行くことが目的でした。
もちろんその点は勉強になったのですが、私がほかに大きな衝撃を受けたのは、身体拘束の在り方でした。どんどん逮捕された容疑者が釈放されていくのです。逮捕された容疑者のうち、拘束されたまま裁判を受けることになるのは、10パーセント程度だということでした。
そして、ある裁判官はこう言っていました。
「罪証隠滅や逃亡のおそれは読めない。将来のことだからね。わからないからこそ、釈放するのが原則なんだ。もし何かあったら、その時にペナルティを課せばいい」
実際に罪証隠滅や逃亡といった事態が起こるのは、多くはないそうです。

どちらが、「無罪の推定」にそぐう考え方でしょうか。
私は弁護人としてたくさんの事件にかかわりました。本当に、不必要な拘束をされているという事件を多く経験しました。そして、そのことを全く理解していない、検察官や裁判官の対応を目にしました。
身体拘束の現状は変わらなければなりません。
個人的には、数ある刑事司法の問題点の中で、この問題が最も大きな課題ではないかと思っています。無用な逮捕、勾留がなくなるだけで、冤罪は減ると思います。無駄な身体拘束がなくなって初めて、市民一人一人が、公平な裁判を受ける権利を享受できると思います。
 

2014年11月10日月曜日

「ルール その2」

世の中にはたくさんのルールがあります。
時に、ルールは、「~してよい」という形をとることもあります。
先日は、「~してはいけない」ルールについてお話ししましたが、逆のルールについて思うところをお話ししたいと思います。

本来的に、人は自由です。
近代国家において、人は、自由な個人であることが想定されています。
国家によって生かされているわけではありません。
ルールによって生かされているわけでもありません。
ですから、いちいち「~してよい」なんて言われなくても、そんなおせっかいをいわれなくても、人は基本的に自由なのです。
(ルールが世界を作っているスポーツやゲームは違いますが)

では、そういう世界の中で「~してよい」というルールの存在意義は何なのか。
私は、そのようなルールが意味を持つためには、「~してもとやかく言われない」「~しても不利益を受けない」という意味を持たなければならないと思っています。

刑事事件のルールを定めた刑事訴訟法には、「黙秘権」という権利が定められています。
黙秘権の意義や正当性、重要性についてここで述べることはしません。
この権利は、簡単にいえば、「取調べや、裁判で、黙っていてよい」というルールです。
しかし、これを文字通りに考えれば、これはあまりにも当然です。人の口に手を突っ込んでも言葉は出てきませんから、黙りたかったら、本人が黙ればいいのです。「黙っていてよい」などと言われなくても、黙ることは少なくとも物理的には可能です。

ですから、「黙っていてよい」というルールは、「黙っていてもとやかくいわれない」「黙っていることによって不利益を受けない」という意味を持たなければなりません。

しかし、現実の事件では、それとは異なった扱いを受けることがあります。
捜査機関は、取調べのはじめに「取り調べでは、黙っていてもいい」と告知しなければならないと決められています。実際、告知は行われます。しかし、多くの捜査官は、そう言った舌の根も乾かぬうちに、「黙秘していると不利になるぞ」「黙っていると反省が見えないから重い刑になる」などとまくし立てます。黙っていることに、とやかく言い続けます。不利益になりかねないと示唆します。
私はしばしば黙秘権の行使を防御戦術として選択します。そのような場合、捜査機関が黙秘に対して上のような圧力をかけてこなかったことは、たったの一度もありません。

しかし、本当に黙秘権の行使が不利益を招いたと感じたことも、たったの一度もありません。
捜査機関の圧力は、けっきょく、多くの場合、脅しあるいは虚言です。
黙秘権を行使している被疑者を怒鳴りつけている間に、ほかの客観的な証拠を集めたり、証明の方法を考えることに時間を使ったほうがいいと思います。
そうしなければ、真犯人をどんどん逃がしてしまうかもしれない。
そうしなければ、本当は犯人でない被疑者が屈服し、冤罪が生まれてしまうかもしれない。

ルールですから、そのルールがあることによって不都合な当事者も、そのルールを尊重しなければならないはずです。
「~してよい」というルールが、「~してもとやかく言われない」「~しても不利益を受けない」という意味を持ち続けられるように、明日も接見に行きます。

2014年10月30日木曜日

「裁判員裁判のインパクト」

裁判員裁判に関する論考を期待した方、ごめんなさい。

再び、イベントの宣伝です。

平成26年11月3日(月・祝) 13:00~16:00
専修大学 神田校舎 7号館3階 731教室
シンポジウム「裁判員裁判のインパクト -実施5年後の現状と今後のあり方-」
が開催されます。
http://www.senshu-u.ac.jp/fsis/gakubunews/_12327.html


このイベントは、専修大学の法社会学の授業の一コマとして行われるものです。
当日専修大学は学園祭のようで、それに合わせて一般の方も参加できるよう、授業を開放して拡大授業を行うということです。
私は「裁判員裁判を担当して -司法へのインパクト」という題目で簡単な講演を行い、その後、実際に裁判員を経験された市民の方とディスカッションを行います。
一般公開の講義ですので、ご興味のある方はぜひおこしください。

裁判員裁判が市民社会・司法にどのようなインパクトを与えたか、また与えるべきかは、当然私にも持論があります。
しかし、私が弁護士になった時には、すでに裁判員裁判はありました。
裁判員裁判開始前の裁判は、厳密には知りません。裁判員裁判の前は、今まで以上に、日本の刑事裁判は「絶望的」だと聞いていました。その絶望を味わったこともありません。
ですから、今回のテーマで講演をするには、私には役者不足なのではないかと、本音のところは思わないではありません。

しかし、先輩から「昔はこうだった」という話をたくさん聞いてきました。裁判員裁判以外の事件では、従来通りに近い裁判が今でも行われています。そういった事件も、もちろんたくさん経験してきました。旧態依然とした扱いを受け、憤ったこともありました。
そして、裁判員裁判の法廷をたくさん経験してきました。同世代の弁護士としては、もっとも多い部類だと思います。そのどれもが、ワクワクする法廷でした。戦いがいのある法廷でした。

そういった経験を踏まえながら、イベントの趣旨に沿った役割を果たしてこようと思います。